2011年5月9日月曜日

坂本竜馬と東日本大震災

2011年3月に起こった東日本大震災の報道は、いまだに涙を禁じ得ないものがある。一方で日本人のまとまりの良さ、そして日本人が持つ一種の強さを感じた。また最近、古い記事ではあるが、朝鮮日報記者で日本を深く理解している鮮于鉦さんが2007年11月に書いた「【コラム】もし韓国に坂本竜馬がいたなら、を最近読んだ。この2つの事について、今回記したい。


【コラム】もし韓国に坂本竜馬がいたなら

大学時代に司馬遼太郎の歴史小説『竜馬がゆく』を読んで、がっかりした記憶がある。血わき肉躍る武勇伝を期待して読み始めが、最後まで刀を振り回す場面など一つも出てこなかったからだ。この小説の時代背景は、明治維新以降の戊申戦争・西南戦争といった血で血を洗う戦争に明け暮れた時期に当たる。読み終えた後、「戦争には英雄がつきもののはずなのに、なぜこんな小説を書いたのだろうか」と思わずにはいられなかった。

日本で明治維新は、いわゆる「無血革命」として知られている。ここには日本の精神的支柱とされる天皇家の復権を血で汚したくないという日本人の心理が働いているのだろう。こうした認識は必ずしも正確なものとは言えないが、明治維新のもっとも決定的な瞬間が無血のうちに実現したのは事実だ。当時強大な軍事力を誇っていた薩摩と長州の二藩が同盟を結び、江戸幕府が皇室に政治権力を移譲する契機となった。だが明治維新のそれ以外の場面では、老若男女を問わず、多くの血が流されたのもまた、紛れもない事実だ。

『竜馬がゆく』の主人公、坂本龍馬は明治維新を無血のうちに成就させた一人だ。その竜馬が「日本人が選ぶ歴史上の人物」として不動の1位につけていることからも、日本人が明治維新における無血革命の部分をそれだけ高く評価していることが分かる。

坂本龍馬の最大の業績は、薩摩と長州による「薩長同盟」を仲介し、権力移譲である「大政奉還」に寄与したことだ。そうした意味で、竜馬は「戦争の英雄」ではなく、「仕掛け人」といった存在だ。それも特定の事件などではなく、歴史や思想の流れに対する仕掛け人と言える。

当時薩摩と長州は、鉢合わせようものなら問答無用で切りつけ合うような宿敵の関係にあった。竜馬はそうした敵同士の両者に対し、天皇を中心とした強い国を作るという意味で、同じ夢を追う仲間ではないかと説得した。竜馬はまた幕府に対し、今の体制のままでは富国強兵は実現できないと説いた。明治維新の中心勢力だった尊王攘夷派から「攘夷」を切り離し、代わりに「近代化」を結合させたことこそ、坂本龍馬の最大の功績だ。

日本の歴史を紐解いてみると、業績の評価の良し悪しや歴史の表舞台に名前を残したかどうかは別としても、日本には数多くの「仕掛け人」が存在していたことが分かる。例えば戦前には、日本の政界はもちろん、韓国や中国の近代化や革命にも大きな影響を及ぼした頭山満、戦後には韓国と日本の間を取り持ち、新たな関係構築に動いた政商の瀬島龍三がいた。また最近、日本政界の保守2党体制を「保守合同」体制に転換しようと与野党に働きかけた読売新聞の渡邉恒雄会長もまた、広い意味では坂本龍馬の伝統を受け継ぐ「仕掛け人」の一人と言える。

坂本龍馬は「無血革命」を象徴する歴史上の巨人であるが、自身は刺客に切りつけられてこの世を去った。誰が刺客を放ったのかは、今でも謎に包まれている。幕府側による犯行だという説もあれば、反幕府側の不満分子による犯行だという説もある。歴史や思想の流れの中で新たな動きを作り出す仕掛け人は、刀を振り回して戦う英雄よりも多くの敵や多くの危険にさらされるものなのかもしれない。竜馬が薩長同盟を実現させたことで、いつ暗殺されるかも知れない状態に置かれていたことは確かだろう。
最近、「韓国にも坂本竜馬のような人物がいたなら…」と思わされることが多い。韓国には英雄を目指す人は多いが、日本における坂本龍馬のような役回りを買って出る人物がいない。これは今に始まった話ではない。歴史の転換期に、「大胆な仕掛け人」として命を賭けて大きなうねりを作り出そうという「韓国版・坂本龍馬」の登場を期待することは無理なのだろうか。記者には19世紀末以降、韓国と日本が対照的な道を辿った原因もこんなところにあったのではないかと思われて仕方がない。

東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員
(朝鮮日報/朝鮮日報JNS
2007/11/13 16:56:13)

http://www.chosunonline.com/article/20071113000059 (上)
http://www.chosunonline.com/article/20071113000060 (下)

<コメント>

日本で明治維新が成ったのは、日本の変革が必要だとの認識が当時のエリート層に有ったからだろう。黒舟の脅威、列強の驚異的軍事力は、当時の日本で広く認識されていた。この認識があったから坂本竜馬も活躍出来た。坂本竜馬は明治維新を成立を助けたが、坂本竜馬が居なくても、明治維新は成ったのだろうと思う。

韓国にも近代化を成し遂げようとする開化派の人々はいた。金均玉などは代表的な例だろう。彼は日本で学び、明治維新をモデルとした改革を韓国でも実現しようとした。坂本竜馬になり得た人だ。しかし金均玉は1884年に起こしたクーデター甲申事変で新政権を確立したが、清国の干渉で三日で新政権は崩壊し、革命に失敗した。彼は日本の力を背景としたが、当時の日本の国力は、清国、ロシアに敵わず、金均玉が起こしたクーデター閔妃などロシアを頼る勢力が韓国内に存在し、韓国内がまとまらなかった。つまり金均玉という人材は韓国にあったが、改革の必要性、列強に対抗する為に一つにまとまる必要について、コンセンサスが充分形成されていなかったのだと思う。

東日本大震災を見て、日本人のまとまりの良さを感じた。被災地の人々は、辛抱強く救援を待ち、今も黙々と復旧作業にあたっている様だ。東北の方達は特に辛抱強いのだろうが、日本人の特徴として、大きな変化を甘んじて受け容れ、その環境の中で生きようとしする特徴があると思う。これは世界有数の地震国であり、台風の被害を常に受ける国であるという自然環境が、日本人の精神構造を、そのようにさせている気がしている。日本人は「水に流す」事が上手く、「潔さ」を美徳とする。自然災害が多く見られる環境で暮らす精神的適応行為にも思える。これらは、言い訳を軽蔑する日本人的発想にもつながっており、寡黙な日本人は、時に異文化の中で理解を得る上でマイナスにもなっている面もある事を考えると、日本的な独自の要素と言える。

日本人は、環境に大きな変化が生じると、ぱっとひとつにまとまる事が出来る民族だ。これが東日本大震災でも見られているし、また明治維新のような、国難にも上手く対応出来た理由なのではないかと思う。

一方で韓国は、日本より余程個の主張が強く、人が集まれば人数分の意見を党派を作り出し、まとまる事が出来ない「砂の民」を自称している。坂本竜馬は、日本中で開化が必要であるという考えが溢れていた時代が作り出したヒーローだ。この様なまとまりが韓国にはなかった。

東日本大震災の日本の様子を見て、こんな事を感じている。