2007年9月9日日曜日

瀬島龍三氏への韓国マスコミ追悼文




• はじめに

瀬島龍三氏は、陸軍士官学校、陸軍大学のいずれも主席で卒業し、帝国陸軍始まって依頼の頭脳と言われた人であり、戦時中は大本営参謀として日米開戦命令書をその手で書き、約1500の命令書のほぼ全てに関わり、そして述べ600万人の兵力を動かしたと言われている。

戦後は11年間に渡る抑留生活の後、設立されたばかりの自衛隊入りを断り伊藤忠に入社、一介の繊維専門商社を 日本を代表する総合商社へ育て上げた。伊藤忠では社長から、商売はしなくてもよい、明日の商社の姿を考えてくれと言われたという。

多くの人々が死んだ負けた戦争の参謀という重責を務め、またシベリアでは6万人が死んでいくのを目撃した。こういった経歴から瀬島氏は、私欲や自分を捨て、常に国家や日本国民の幸せのみ追求し、歩まれた人生であったように思われる。

• 韓国と瀬島龍三氏

氏は又、「東アジアの安定は韓半島の安定からはじまり、そのためには韓日関係が安定しなければならない」という考えを持っていた。この為、韓国にも多くの手助けをしている。

氏は朴正煕大統領とは、陸士一期後輩の関係で、朴正煕大統領は良く瀬島氏に相談していたそうだ。現在の韓国経済の形の基礎を作ったのは朴大統領である以上、瀬島氏が韓国経済へ及ぼした影響は、恐らく日本人の中でも最大級のものと言えるのかもしれない。

昔韓国になぜ純日本的と言われる総合商社が存在するのか不思議だったかが、その答えが瀬島氏と韓国の結びつきにあるようだ。また当時の浦項製鉄設立にも尽力した模様だ。このように韓国の経済開発・政策にも深くかかわっている。他には全斗煥、盧泰愚元大統領、朴泰俊前浦項製鉄(現ポスコ)会長、故・李秉喆サムスン・グループ名誉会長などの錚々たるメンバーと人脈があることから、瀬島氏の色々な知恵が、韓国にも注がれている事が想像される。戦後の日韓の形を作った一人と言えるのかもしれない。

• 韓国でも高名な瀬島氏

韓国の新聞からも、2007年9月4日に亡くなられた瀬島氏への追悼文を複数出している。これらは韓国側から見たひとつの日本人像・日本像をも示しているとも思われる。下記にめぼしいものを集めてみた。

瀬島龍三氏が韓国でも高名な理由は、韓国でも翻訳されベストセラーになった山崎豊子氏の小説『不毛地帯』のモデルになっていた事と、当時の朴大統との深い関係、韓国に拾い人脈を持つことなどから、ある程度有名な日本人であるようだ。製鉄(現ポスコ)会長や故・李秉喆サムスン・グループ名誉会長ら、錚々たるメンバーと人脈を持ちながら余り表面には出ず、影の部分の日韓のパイプ役とのイメージもあるようだ。
ただ、朝鮮日報韓国語版には読者から3つのコメントがあり、いずれも抜群の頭脳で戦後日本の発展に貢献したことを称えるものと好意的だった。いずれの記事も、瀬島龍三氏は韓国経済に影響力を及ぼした影のフィクサーといった風もあるが、いずれにの記事も概ね好意的と言えると思う。

• 記事1: 9月5日付け朝鮮日報日本語版

「旧陸軍のエリート参謀」「財界のキーマン」「政界のフィクサー」…。
韓日の密使として活躍した瀬島龍三さん死去
日本復興の「生き証人」日本語版:

旧日本軍の大本営参謀を務め、シベリアに抑留された後、日本の政財界の実力者になり、1980年代に韓日間の密使としても活躍した瀬島龍三・元伊藤忠商事会長が4日、95歳で死去した。

戦後日本復興の「生き証人」といわれる瀬島氏の人生は、韓国でも翻訳されベストセラーになった山崎豊子氏の小説『不毛地帯』のモデルにもなっている。瀬島氏は富山県の貧しい農家に生まれ、1938年に陸軍大学校を首席で卒業、太平洋戦争期間中は旧日本軍の最高司令部である大本営参謀として「ガダルカナル撤収作戦」などほとんどの主要作戦立案にかかわった。関東軍参謀として満州(現:中国東北部)で敗戦を迎えた瀬島氏は、ソ連軍に戦犯として捕らえられ、シベリアで11年間にわたり過酷な強制労働を強いられながらも生き残った。このときの経験がその後の活動の原動力になったといわれている。

56年に帰国した瀬島氏は58年、当時は中小規模の繊維商社だった伊藤忠商事に入社した。業務部長を皮切りに実力を発揮、副社長から副会長を経て入社20年後の78年から10年間、会長を務めた後、2000年6月に特別顧問を最後に引退した。瀬島氏はかつて大本営参謀を務めた経験を生かした組織を会社にも取り入れ、自ら参謀組織の責任者として全世界を舞台に情報を収集、繊維輸出会社にすぎなかった伊藤忠を日本最大の総合商社に押し上げた。瀬島氏はこうした情報力を背景に、67年の中東戦争が6日で終わることや73年のオイルショックを予見し、実際に瀬島氏の言うとおりになった。「昭和の参謀」「財界の参謀総長」と呼ばれるようになったのも、このころからだ。

瀬島氏は韓国の政財界の有力者とも幅広い交流関係を持っていた。朴正煕(パク・チョンヒ)大統領時代から韓国との関係が始まり、韓国に貿易商社制度の導入を勧めるなど、経済開発・政策にも深くかかわった。全斗煥(チョン・ドゥファン)、盧泰愚(ノ・テウ)元大統領をはじめ、朴泰俊(パク・テジュン)前浦項製鉄(現ポスコ)会長や故・李秉喆(イ・ビョンチョル)サムスン・グループ名誉会長ら財界の名士と厚い人脈を築き、何度も韓国を訪れている。83年の中曽根康弘首相(当時)の訪韓では、密使として事前交渉を担当した。この過程で日本は経済協力資金40億ドルを韓国に提供したが、これについても瀬島氏が決定的な役割を果たしたといわれている。

また、瀬島氏は中曽根首相のブレーンとして日本電信電話公社(現NTT)、国鉄(現JR)、日本専売公社(現JT)の民営化を指揮、竹下登、宮沢喜一、橋本龍太郎、小渕恵三の各氏ら歴代日本首相のブレーンも務めた。しかし、日本の帝国主義による戦争に深くかかわった人物が戦後の政界で活動することに対し、批判の声もあった。

冷戦終了直後の90年代には「シベリア抑留時代にソ連軍の手先になったのでは」などの疑惑が取りざたされ、否定的な評価も出た。しかし瀬島氏が戦後の日本を「ジャパン・アズ・ナンバーワン」に作り上げた超一級の参謀であったことは確かだろう。

東京=鄭権鉉(チョン・グォンヒョン)特派員
朝鮮日報/朝鮮日報JNS

http://www.chosunonline.com/article/20070905000032


• 記事2: 2007年9月5日付け中央日報日本語版

韓日友好のパイプ役、40年余…元伊藤忠商事会長の瀬島龍三氏死去
航空機商戦を描いた山崎豊子氏の小説『不毛地帯』の主人公のル、瀬島龍三・元伊藤忠商事会長が4日未明、東京都内の自宅で死去した。95歳だった。

同氏は、韓日国交正常化以降およそ40年間「密使」として韓日のパイプ役になるなど、両国関係に大きな影響をおよぼした。財界の大物でありながら韓国政界に広い人脈を築き、韓日関係の様々な場面で重要な役割を果たしている。鈴木善幸氏から海部俊樹氏に至るまで歴代首相4人が同氏に諮問を求め、韓国でも朴正煕(パク・ジョンヒ)、盧泰愚(ノ・テウ)氏ら歴代大統領が同氏から国家経営のアイデアを得たりもした。

「東アジアの安定は韓半島の安定からはじまり、そのためには韓日関係が安定しなければならない」というのが、同氏の韓日関係に対する考え方だった。こうした信念のため同氏は、両国首脳の交流にも多大な役割をしている。1983年1月に当時の中曽根康弘首相が電撃訪韓した際、同氏は密使として地ならしをし、翌年9月には全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領の訪日を成功させた。

90年に盧泰愚(ノ・テウ)元大統領の訪日を控えて、天皇陛下の謝罪問題が浮上した当時も、日本政府の特使として青瓦台(チョンワデ、大統領府)を訪れ、水面下の調整を行なった。当時、韓国側の交渉担当者は朴泰俊(パク・テジュン)民主自由党最高委員。

故人と韓国との深い縁は、95年に出版された回想録『幾山河』(扶桑社)でもうかがえる。親密な仲だった朴正煕元大統領について「自分に厳しく、控えながらも、高い見識とリーダーシップを発揮した」と絶賛し、李秉喆(イ・ビョンチョル)元三星(サムスン)会長については「心から敬愛する先輩であり、兄貴であり、教師だった」とし、格別な尊敬心を示した。

全斗煥・盧泰愚元大統領らも、李秉喆会長の仲介で瀬島氏と縁を結んだ。同氏は企業家としても「瀬島神話」を産んだ。38年に陸軍大学校をトップで卒業した後、大本営陸軍参謀として太平洋戦争を中枢部で指揮し、満州で終戦を迎えたが、旧ソ連軍の捕虜となり、11年間シベリアに抑留されたりもした。58年に帰国し、入社した会社が伊藤忠商事。

瀬島氏は企業に「参謀組織」を導入し、全世界から収集した情報を活用、小さな繊維会社だった同社を屈指の大企業に育てるのに中核的役割を果たした。同氏は、こうした情報力を基づき、73年のオイルショックを予測したりもした。富山県松沢村(現小矢部市)出身で、貧しい農民の息子に生まれた。

金東鎬(キム・ドンホ)特派員


• 記事3: 2007年9月5日付け東亜日報(Web訳)

日本の小説「不毛地帯」のモデル瀬島龍三氏死亡

第2次世界大戦当時日本軍参謀で活躍し、戦後には日本財界と政界で影響力を行使して来た (瀬島竜三・写真) 元伊藤忠綜合商社会長が 4日午前他界した。 享年 95歳。

彼は一生情報を集め戦略を立案する「参謀」の役目で活躍し高い評価を受けた。 1938年日本陸軍大学を首席で卒業した後、日本軍大本営の陸軍参謀として戦争指揮の中枢にいた彼は、満洲で敗戦を迎えてソ連軍虜になり 11年間の抑留生活も経験した。

1956年にようやく日本に帰って来たが、 2年後の 46歳の歳に伊藤忠商事の付嘱託社員として入社した。 彼 は伊藤忠に軍の参謀組職を取り入れ、全世界を舞台に収集した情報力を活用し、纎維輸出業者に過ぎなかった伊藤忠を世界的な綜合商社まで発展させた。

入社 4年後常務取締役に就任し、1978年から 10年間会長職を勤め、主に他社との提携合併を主導し、「日々の商売に追い回されるのではなく、戦略的に他社と取引きする技法を取り入れた」との評価を受けた。陸軍参謀本部組職をモデルに、社内でも直属部下を従えて「瀬島機関」と呼ばれた。1973年には新聞の記事のみから世界的なオイルショックを予測して、石油を備蓄するようにした結果、会社に莫大な利益をもたらしもした。

後日回想録で彼は、「敗戦責任者としての反省と 11年間のシベリア抑留で生き残った体験が戦後の活動の原動力になった」と語っている。目標を実現しようとすれば「ナンバー 2」が優れるというのが持論であった。口癖のように。「綺麗ばかりの人間と言うのはありえない」とも言った。

一方彼は中曽根康弘、竹下登前総理など保守政治家のブレーンとして活躍し、「戦争を主導した人物が政治に関与する」と言う批判を受けたりした。

彼は朴正煕、全斗換、盧泰愚前大統領など韓国の軍事政権ともきわめて親しかった。特に朴正煕前大統領は日本陸士 1年先輩だった彼を、非常に尊敬していた事が知られている。1983年中曽根前総理の訪韓当時には密使として、事前整地作業を担当した。日本言論は、歴史家の多くは、「軍部中枢にいた人として、明らかにしなければ成らないことが多かったが、核心部分を言わなぬまま去って残念」という反応を示したと伝えた。波乱万丈であった一生を送った彼は、山崎豊子のベストセラー小説「不毛地帯」の主人公のモデルでもある。

東京=セヨンア特派員

(http://www.donga.com/fbin/output?sfrm=1&n=200709050148)


• 記事4: 連合ニュース(Web訳に加筆)

日本小説「不毛地帯」主人公瀬島龍三氏 他界

(東京=連合ニュース) 太平洋戦争当時日本軍参謀で活躍し、戦後一歩遅れて財界に身を投じ、現在の巨大総合商社伊藤忠を作った瀬島竜三前伊藤忠商事会長が 4日午前 他界した。95歳であった。

1938年陸軍大学を首席卒業した後、日本軍大本営の陸軍参謀として太平洋戦争を軍中枢で指揮した彼は、満洲で敗戦を迎えソ連軍虜になって 11年に及ぶ抑留生活を経験する。その後1956年に帰国し、2年後伊藤忠商事に入社した.

主に航空機分野で働き、1968年専務に昇進。いすず自動車とアメリカ・ジェネラル・モーターズ(GM)との提携を成功させるなどの実績をあげ、副社長、副会長を経って、1978年から会長職を 10年間勤め、2000年 6月特別顧問を最後に引退。

企業に参謀組職を導入し、全世界から収集した情報力を活用し、纎維輸出業社に過ぎなかった伊藤忠を最大規模の綜合商社に発展させた。情報の達人と呼ばれた彼は、1973年に世界的なオイルショックを予測したりもした。

彼は韓国政財界の幅広い人々と交流して来た。また、中曽根康弘前総理のブレーンとして活躍した彼は1983年、中曽根総理の訪韓時の密使として事前整地作業を担当したことが知られている。

貧しい農家の息子に生まれ、日本軍参謀とシベリア抑留生活を経験後、ビジネスマン界に入り、政界・財界で猛烈な活躍した激動の人生は、山崎豊子のベストセラー小説の「不毛地帯」で主人公として描かれてい
る。


• 記事5:MBC(テレビ)ニュース(Web訳に加筆)

韓日の密使 瀬島龍三氏他界

アンカー: 韓国と日本の右派大物との親しい関係を土台に、韓日関係で影響力を行使して来た瀬島龍三さんが他界しました。徹底的な右翼という非難と、それなりに韓日関係に寄与したという評価が出ています。東京ファンウェチン特派員です。

記者: 朴正煕、全斗換、李秉喆、朴泰俊そして中曽根康弘など韓日両国保守の大物たちと親しく、実力者として君臨して来た瀬島龍三氏が昨日他界しました。95歳でした。

日本陸士出身である瀬島龍三氏は、大本営の参謀で戦争に関与し、関東軍参謀として敗戦を迎え、 12年間
シベリアに抑留されました。

帰国した後には伊藤忠商事に入社し会長まで上り詰め、日本軍の参謀組職を取り入れて日本的綜合商社の原型を作りました。

日本陸士出身である朴正煕前大統領を含めた韓国の右派政治達や企業人たちとも深い関係を結び、韓国の経済開発政策にも影響を与えました。

韓日国交正常化交渉過程で密使として調整役目を演じ、全斗換政権当時には中曽根総理の訪韓と経済協力資金 40億ドル支援交渉を無事に成功させました.

中曽根前日本総理 : 政治、経済、文化、社会すべての分野で日本人たちを指導してくださった方です.

記者: 瀬島龍三氏は、韓日両国の保守右派たちが韓国にすまない心を持って、それなりに韓日関係に寄与したが、その人物のひとりと評価出来る方です。

しかし新しい歴史教科書を作る集まりを支援して、太平洋戦争は侵略戦争ではないと主張した本質は、日本帝国に充実な軍人だったという非難も少なくありません。

東京で MBCニュース ファンウェチンです.

http://imnews.imbc.com/replay/nwtoday/article/2065605_2711.html

2007年8月28日火曜日

読書ノート(1)



「国家情報戦略」を読んで

韓国、朝鮮関係の本の書評を掲載して行こうと思う。初回は講談社+α新書「国家情報戦略」を取り上げたい(2007年7月20日第1刷発行)。

本書は、元外務省主任分析官である佐藤優氏と、韓国国防省海外情報部で日本担当官、北朝鮮担当官を歴任した高永喆(コウヨンチョル)氏の対談だ。情報分析に従事したこと、又ご両名とも国に逮捕される経験を持つ(それだけバリバリ仕事をしていたと言うことなのだろう)。

一読後、ドカッとした大きな物を得たとう感じは無いが、断片的な幾つかの興味深い話しがある本だ。日韓両国の情報収集の実態については、下記の点が興味深かった。

● 日本はアメリカの情報を収集していない!

アメリカ情勢の情報についてだが、韓国では国防省情報本部海外部の下に、アメリカ課、日本課、中国課、ロシア課がそれぞれの国の情報を集めており、韓国外務省のアメリカ課、日本課、中国課、ロシア課でも、また外交安保研究院でも動向調査を行っているが、日本は一切アメリカをモニターしている部署が無いという。

日本にとってのアメリカの重要性は言うまでもないことだ。ましてや日米安保がある為、例えば日中関係の今後を戦略的に考える場合でも、中国の将来について多数のシナリオがあり得、一見複雑な作業が必要だが、日米安保によって現在の軍事的な優位性は日米側が圧倒的に強く、中国に対して優位性を確保できる為、外交の運営も軍事的パワーが背景になる現実がある以上、結局中国が取りえる選択肢は狭まると言う。

またソビエトの崩壊のよって唯一の超大国となったアメリカの登場で、日本のみならず各国とも、自国の将来の戦略を考える場合、唯一アメリカの出方を正確に把握しておけば、大きく間違える事は無いと言う。これだけ重要なアメリカについて、動向を一切フォローしていないというのは非常に危険な事に思える。

● アメリカを理解する為に

更に、これは別の書の話だが、真にアメリカを理解する為に、日本は各界が総力を挙げて、アメリカの意思を探るべきだと言う意見がある。「これがアメリカの意思だ」といった場合、ある時にはそれは世論の意思であったり、またある時には政府は議会に動かされたりと、アメリカと一言で言っても、非常な多様なグループが存在し、それが相互に影響し合いながらアメリカの意思を作っているからだ。逆に言えば、アメリカの意思としの実態は「常にこれだ」というものがアメリカには無い。アメリカ世論が一番力を持つグループなのだろうが、アメリカを動かすグループがケースバイケースで違ってくることが、アメリカを読む事を難しくしている要素だという。

日本が総体として、アメリカの各界の動向を理解する方法を取り、それを一箇所に集めて分析する方法を取る場合、逆に外務省や内閣調査室にアメリカ課などがあっても意味は無いのかもしれない。しかしこういった情報収集に疎い日本のこと、単にアメリカに対する気兼ねや、「最大の同盟国アメリカをスパイする部署などもっての外」などの軽薄な形式論で、アメリカ情報を集める部署を作っていないと言うが、どうせこの国の真相なのだろう。非常に危険だと言わざるを得ない。

本書によれば幸い国内でも情報機関作りが、日本の政治日程に上がっているという。アメリカを読めば世界が読めるご時勢であることを考慮してお願いしたいものだ。

● 日本は英国に次ぐ米国の同盟国、NSAの日本の扱いは2流国並み

韓国軍の場合、アメリカ軍が運用する効果な諜報衛星と最新型U-2偵察機を通して、戦略情報の100%を、そして戦術情報の70%を提供してもらっているという。この事情は日本も大きく違わないだろう。アメリカにはNSA(国家安全保障局)という、CIAの3倍の予算と3万8千人の要員を使う巨大な情報機関があり、エシュロンと呼ばれ通信傍受システムを使って全世界の盗聴監視している。「テロ」や「爆弾」などのキーワードに反応し、追跡調査するのだという。

エシュロンは第1次加盟国のアメリカとイギリス、第2次加盟国としてオーソトラリア、ニュージーランド、カナダといったアングロサクソン系の3カ国が加わりスタートし、以後NATO加盟国と日本、韓国、トルコが第3次加盟国になっているそうだ。アメリカは、第2次加盟国のアングロサクソン系の国々には、すべての盗聴情報を共有している模様で、日本や韓国が貰っている情報は、最高レベルの機密情報ではないという。米国にとり、日本は英国に次いで重要な同盟国であるはずだが、情報面では今一歩信頼されていないようだ。

● スパイ天国日本

高氏はまた、日本のスパイ天国の様子は酷いという。第3者から言われるのだから相当に酷いのだろう。佐藤氏によればスパイ防止法が日本にない為だとしている。いずれにせよ、日本で情報機関が作られるのであれば、米国との情報交換は益々活発に行う必要が生じるが、日本に出した情報が漏洩するようでは、米国も日本に大事な情報をくれるはずがない。エシュロンでの扱いや、日本のスパイ防止法不整備である状況は、今後改善を真剣に行うべきと思われる。

● 韓国との情報交換

日本と韓国は米国を介した同盟国と言える。米国を介してというのは、日韓の間には直接の軍事同盟関係は無いが、日本には日米安保があり、韓国には米韓同盟があるからだ。実際、日韓での軍の交流は活発に行われており、米国も入ったハイレベルの3者会議で戦略の刷り合わせなども良く行われているようだ。情報の交流では、北朝鮮情報などは恒常的に交換しているそうだ。

本書にある高氏の日本に対する態度が好意的なのは、旧帝国軍人であった父を持つ影響もあるようだが、軍という明確に日本を同盟国とする組織に属しているからでもあるようだ。軍は明確に敵を想定する組織であり、友邦も明確だ。韓国退役軍人が集まり、ノムヒョン大統領の反米的態度に懸念を表明したことがあったが、韓国の軍事的な敵は依然明確に北朝鮮である以上、合目的な物の見方をしていたのは、退役軍人であったと思わざるを得ない。

● 北朝鮮式諜報工作は日本が作った

その北朝鮮だが、佐藤氏の話しでは、現在の北朝鮮の諜報工作の形作りに、旧日本陸軍中野学校が関与していたそうだ。日韓両国の歴史の因縁を感じる話だ。

佐藤氏によると、戦前・戦中の陸軍中野学校出身者の少なからずが朝鮮半島に渡り、そのなかのなかりの人たちが、戦争が終わっても暫くの間北朝鮮に残ったという。また旧日本軍の情報将校にも朝鮮半島出身者がいたそうだ。こういう関係が朝鮮半島とはあった。

高氏によると、韓国国防省情報本部は北朝鮮のスパイ工作機関を高く評価しており、日本の陸軍中野学校のノウハウを覚えたからだとの見方があったという。陸軍中野学校の教育方法は、北朝鮮のインテリジェンス工作に非常に良く似ているそうだ。例えば中野学校は教師として本物の甲賀忍者を呼んだりしたそうだが、忍者の世界には「草」という、ある国に入り、その国の人に成りすますスパイがある。要するに「現地の人と結婚しろ」と教えている。実際北朝鮮の工作機関が作った「ユニバース・トレーディング」の社員が日本人拉致事件の実行犯として名前が上がっており、これは「草」の例だという。

もうひとつの例として、陸軍中野学校が偏西風を使ってアメリカ向けにやっていた風船爆弾と同様のものを北朝鮮も行っていたという。風船爆弾はこんにゃくと和紙で風船を作り、爆弾を付けたものだが、これは陸軍中野学校の仕事だったそうだ。

また「法弊作戦」という工作も陸軍中野学校と裏表の関係にあった陸軍登戸研究所が行っていた。日本は第2次大戦中香港を接収し、紙幣発券銀行であった香港上海銀行も押さえたが、造幣機を日本に持ち込み、登戸で事実上、真性のお札を、工作の一環として刷ったという。これはいま北朝鮮が行っている偽札「スーパーノート」に良く似ているとの指摘がある。

佐藤氏こういった事情から、こういった陸軍中野学校と北朝鮮の特殊工作の類似点は初耳で興味深い。陸軍中野学校が何をしたかの調査は、北朝鮮のスパイ体制、スパイ工作に対抗する上で有益としている。更に金正日は部下を褒めるときに、「お前は本物の中野だ」と言うと言うそうだ。

ただ陸軍中野学校と北朝鮮の工作機関では、その精神が違う。陸軍中野学校の場合、「謀略は誠なり」として、相手国の無辜の国民を拉致する工作はしなかった。「現地の人々に受け入れられないような謀略工作は、絶対に成功しない」とされていた。この精神は、ビジネス界でも通じる興味深い話と思う。

● 高氏が語る日本人瀬島龍三

高氏が持っている日本のイメージだが非常に親日的だ。高さんは、スパイ容疑で獄中暮らしを強いられ、7年間のシベリア抑留経験のある瀬島龍三をモデルとした不毛地帯を読み、獄中暮らしの心との糧にしたと、日本人が嬉しくなることを言ってくれている。高さん曰く、瀬島龍三は韓国経済の恩人だそうだ。朝鮮戦争で壊滅状態にあった韓国経済が1965年に朴大統領が行った経済開発政策によって経済発展の歯車が回り始めたが、これは瀬島氏のアドバイスと支援があったからだとしている。朴大統領は軍隊の先輩である瀬島さんに、なにかにつけ相談したいたそうだ。

韓国経済が大きく成長する牽引車となった高速道路や地下鉄などの建設や、浦項製鉄の設立、さらには、造船や自動車といった基幹産業が育ったのは、日本の技術と資本協力のお陰であり、それを可能にしてくれたのは瀬島氏だという。また「一国が飛躍的に経済成長を実現するためには、万国博覧会やオリンピックなどの国際イベントを開催することだ」という瀬島氏のアドバイスによって、1986年にはアジア大会が、1988年にはソウルオリンピックがそれぞれ開かれ、韓国は先進国の仲間入りを果たすことができたそうだ。

高さんは現在、瀬島氏が会長を務める「日本戦略研究フォーラム」の客員研究員だそうだが、大変誇りに思っていると言う。韓国人はよく、「恨」の民族だと言われているが、受けた「恩」も決して忘れないと語っている。日本人として嬉しいコメントだ。

● 矜持を失った日本人

ひとつ確認出来たのは、高さんも、やはり日本をサムライの国、武人の国と見ている点だ。高さんいわく、「韓国から見れば、歴史的に、日本という国はサムライの国としていつも武力で隣国を侵略する「武士の国」だという認識を持っている」そうだ。

高さんの父親は、旧帝国陸軍の軍人で、高さんにいつも「あれだけ巨大なアメリカと戦ったのは史上日本だけだ」と語り、日本を尊敬していたという。その後ベトナムなどもアメリカと戦っているが、確かに広いスケールでアメリカと実際に戦闘を繰り広げたのは日本だけだ。日本に対する同様の感想を朝鮮日報の読者の投稿でも見たことがある。「日本は60年も依然にアメリカと戦争する実力を持った国だ。韓国はまだまだだ」という趣旨の投稿だった。

ただ日本人から見れば、何故 勝てもしないアメリカと戦う程、日本は愚かだったのかと言う意識が強い。韓国人の多くは、日本人の悩んでいる自国の愚かさを理解していないのだろう。

しかし高さんは言う。

“ところが2000年に来日して驚いたのは、従来から認識していた日本と現在の日本が全く別だという事実です。かつての軍事大国として、あるいは現在は経済大国として、自分の国は素晴らしい国だという矜持が日本人のなかにあるように感じられませんでした。国民のプライドも、まったく見えなかったのです。やはり、国民の自身に裏打ちされた真の国力というものは、経済力だけでは醸成されないのかもしれません。アメリカとの戦争に敗れたショックが、これほどにも大きなダメージとなって、国全体に広まっていたのでしょう”

これは一面、現在の平和憲法を持つ平和志向の日本が、お隣韓国にも知られていないという側面もあると思われる。しかし平和志向であっても矜持を持つことは出来る。高さんの「日本には矜持が無い」は残念ながら実感として良く判る指摘だ。

やはりこれは日本がアメリカに対してぼろ負けの戦争を展開し、筆舌に尽くしがたい数々の凄惨で不幸な体験をした事が大きいのだろう。こう言った戦後の厭戦主義と、世界唯一の被爆国という 明確に世界的に特異な悲惨な体験をした国という一被害者意識に、ソ連共産党あたりによる日本の軍事力中和化工作によって、戦いは悪だ、戦争は放棄すべき、軍事力は持つべきでない、そして、兎に命は何より尊い、という考えを持つに至ったのだ。その結果、旧社会党からは「非武装中立論」などという空想的平和主義、我々が武装をしなければ戦争は起きないという、願望と現実とが区別の付かない意見を大衆が持つに至ったと考えている。

私の立場は、充分な反撃能力を有する事が、相手の攻撃を躊躇させ、平和を保障するというものであり、これは世界的常識と言えるはずだ。日本でも小沢一郎氏は、これを「普通の国」になると事と言った。正にこれが「普通の国」だと思う。

しかし前述の日本人の精神構造が、日本を世界的常識から外れた精神を生んだと思う。つまり高さんご指摘の通り、「アメリカとの戦争に敗れたショック」ということだ。

日本人はある意味で、敗戦からトラウマを植え付けられている。このトラウマは、軍事アレルギーとも言い換えられるだろう。このトラウマの由来は、アメリカとの戦争に対して悲惨に負けたという劣等感と、更に日本人自身が日本の破滅を防止出来なかったという無力感、あるいは、どうして圧倒的国力を持つアメリカと戦争を始めてしまったのか、何か日本民族に合理的に物を考えることが出来ない重大な欠陥があるのではないかと言う漠然とした不安感と言い換えられるようにも思う。この不安感を抱く人々は、感覚的に軍事力増大イコール戦争が始まる、と発想する。この不安感から日本の軍事力の充実に反対するのだ。トラウマを持った人々は又、日米安保強化へも反対する。これはトラウマと言う他はない。何故なら、敵意を持った国は反撃されないと判断した時、相手を攻撃するからだ。

米国に対する劣等感は、戦後の経済戦争の多数の局地的な勝利で随分癒えたと思われる。しかしまだ日本人は、強い軍事力を持った自国をコントロール出来るとの自信を得るまでに至っていないのでは無いか。これが昨今の右傾化(私に言わせれば「普通の国化」)を進める安部政権に、一種の拒絶反応を示した背景と思われる。この動きに附いて行けない人々が依然日本にはいるのだ。このことを、参院選挙後行われたNHKの討論番組で、いまだに戦争を忌み嫌い、武装することを否定する人々がいることをみて、強く感じた。

トラウマの治療法としては、自分はトラウマを持っている自覚を持つことが第一歩だと思う。トラウマを癒すことなく、普通の国化はあり得ない。トラウマを持つ世代はいずれ消えるが、日本民族の学習という観点からこのトラウマは癒すべきだ。「美しい国へ」や「とてつもない日本」のような愛国心高揚も確かに大事な時期である。しかし、まずこのトラウマの修復を行うべきだと思う。

ちなみに高さんは、日本人は昔からインテリジェンス感覚に優れたDNAを備えているとしている。日本人の敗戦によるトラウマには、日本人の「稀に見る情報音痴「があった様に思う。端的な例がアメリカの国力の判断ミス、あるいは参戦した場合日本がどこまで戦えるかの評価ミスだ。しかし高さんは、日本人のインテリジェンス感覚は優れていると言っている。これは正直、日本人の情報音痴を信じていた私にとって大変意外だった。同盟国との関係から日本に接する機会が多い情報の専門化からの言葉であり、心強いことばと言える。やはり日本人はこのトラウマの為、まだまだ自分自身を失っており、日本人の軍事力の接し方、管理能力を、過度に低くみている点があることに気付かされた。またこれは逆に、日本人はこのトラウマを、意外に簡単に克服できる事を示しているとも思われる。

いずれにしろ何故我々自身が戦争への道を旨くコントロール出来ず、原爆を落とされるまで戦い続けたかについて、その理由や分析は、広く国民の間で共有されているとは言い難い。日本人は太平洋戦争のトラウマを克服するためにも、日本の失敗を分析し、広く国民へ知らしめるべきだ。これが戦争トラウマを見つめ、それを克服することだと思う。高さんのコメントは、色々考えさせるものだ。

2007年8月13日月曜日

韓国の反日について

嫌韓派と呼ばれる人々がいる。韓国の反日がこういう人々を作っているようだ。竹島問題や従軍慰安婦問題、あるいは金大中が過去は見ず未来志向で行こうと言ったにも拘らず、相変わらず第2次大戦前の日本の行為を攻め立てる態度は、確かに腹が立つ。

ただ韓国の反日は、日本の全面否定ではない。むしろ対象は限定され、日本の韓国・朝鮮半島への軍事的侵略意図のみを対象としている。韓国が日本の侵略的意図を気にするのには訳がある。日本は過去に3度も韓国を侵略している。韓国としては日本を警戒するのは当たり前だ。文人の国韓国に対して、日本は侍の国、武人の国でもある。特に戦後日本は、世界的大国として見事に復活し、防衛関係者の営々としたご努力で、現在の軍事力は世界有数なレベルにまでなった。

更に最近、北朝鮮のミサイル発射、核保有で、自国を自衛するという、極当たり前のことの大事さに日本はようやく気が付いた。ふと見ると中国も、もの凄い勢いで軍事力を強化している。このような外部環境は、又日本を軍事的に目覚めたところがある。こういった環境の延長線上にある憲法改正議論や、核武装議論の可否も、韓国からすれば、益々日本は軍事的な威圧感を感じているはずだ。

日本からすれば、これだけ平和を愛する国民なのにとの思いはある。しかし日本が戦争放棄を謳う憲法を持つ国だと知っている人間は、海外にはそう多くはいない。更に日本は、最近明確に右傾化しており(私は「普通の国」化だと思っているが)、韓国国民は日本の平和志向を益々信じれる状況ではないだろう。

それに韓国の反日の原因は日本が作っている。秀吉の朝鮮半島侵略は明国征服という、秀吉の野望の結果であり、朝鮮の人々は純粋な被害者だ。日韓併合も、日本の安全保障上、朝鮮半島は重要という、これも日本のお家事情の話で起こしたことだ。併合については、そこまで行く時点で、日韓両国の相互作用が色々あったが、いずれにしろ出発点は日本の安全保障の強化という、日本の国益追求に他ならない。

日本の事情で起こしたこれら侵略があるから、現在の反日があり、反日は日本が行った行為が元になっている以上、韓国に対する反日への物言いも、こういった経緯を踏まえた言い方をする必要があるのはいうまでもない。こういう歴史的背景を無視し、韓国の反日に対して単純に反感を持つことは、言ってみれば片手落ちなのだ。

韓国の反日の対象は、日本が再度韓国・朝鮮半島に軍事的野心を示したと、韓国人が感じた場合のみ限定されている。それ以外は、韓国程、日本を手本として、あるいは日本のものを好んでくれる国民はいない。韓国の例えばMBSの9時のニュースなどを見ると、韓国で人災事故があった場合、必ずと言ってよい程「日本ではこのように旨く対応している。我々も見習わねばならぬ」とのコメントがある。韓国は日本にとり最大規模の輸出国であり、電子製品から、小説、マンガ、アニメまで、これ程日本のものを受け入れている国はない。

韓国人の日本好きの背後には、いつかは日本のように成りたいという憧憬と、いつかは追いつき追い越したいという競争心があるにせよ、日本は韓国より進んだ国であり、韓国の近未来の姿としてある面は否めない。このように基本的には韓国人は、恐らく世界一日本を肯定的に考えている国だ。自国韓国を併合した日本という国は、韓国人にとっても世界的にも優れた国でないと困るとの心理もあるのかもしれない。

いずれにしろ、韓国の反日の本質は極めて限定した事象にしか見れず、この点を良く理解し、実際に見られる韓国と日本の緊密な関係を見誤ってはいけないと思う。

はじめに

思春期のある時期をアメリカで過ごし、帰国して日本人について考えるようになった。西洋社会で独り頑張るアジアの国日本と言ったイメージを抱いていた。ある時、日本に似た国として韓国がある事に気が付いた。当時は、韓国経済が「テイクオフした」といわれ始めた時代だ。会社勤めを始め、しばらく韓国を忘れていたが、インターネットに溢れる韓国情報に触れ、昔の興味がまた復活してしまった。韓国はやはり面白い。韓国を通して日本のことが良く判るからだ。どんなブログになるか検討が付かないが、ひとつの日本人像が出ていれば、多分このブログは成功なのだと思う。

2013年に成ると、単に隣国理解の立場で韓国を見るだけでは駄目になっている様に思う。中国は世界第2位の経済大国となり、韓国も経済発展のみならず、ソフトパワー面でも世界的に有力な国となった。東アジアはこれまで、日本がダントツの存在感を持っていたが、現在はそうではない。そして饒舌な両国は、今思いのたけを日本にぶつけ始めている。

結果、現在日本は、韓国、中国と、どの国がより正義の国であるかの外交戦争を繰り広げているかのようだ。今の日本人は、過去の歴史を正視しながら、韓国との歴史論争に勝てるように成らねばならない。世界一寡黙でシャイな国民である日本には、大きなチャレンジだろう。

また慰安婦などは、戦場と性、女性の人権、など、非常にタッチーなテーマでもあり、この韓国との論争に勝てるのか、そして国際舞台で議論することが本当に日本の国益に沿うのかさえも、大きな問題だ。しかし日本は外交戦争に、やはり負ける訳にはいかない。押し黙ってやり過ごすオプションは、やはり無い様に思う。

こういう複雑な時代になっているが、依然米国駐在であるので、米国情報は比較的集めやすい。この地の利を生かしながら、思いつくまま、韓国について記載してみたい。当ブログで、若干ユニークな情報が提供できればと考えている。